かなたブログ

SHISHAMOが大好きで、SHISHAMOの曲にインスパイアされた小説を書いています。昔、SPARK BOXで、『東京タワーの見えるコーヒーショップ』という小説を吉川さんに朗読していただきました。

「春の終わり、夏の始まり」

「第3ボタン」や「さよならの季節」のその先を小説にしました。ラストを用意するなんてタブーだと思うのですが、しかも、用意したラストも、ねえ。

賛否両論あるとは思いますが、あくまで一つの小説として読んでいただけると嬉しいです。

 

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 満開だった桜の花びらは、どこに行ってしまったのだろう?

 私の恋が破れて、もう二か月がたつ。はかなく散った桜の花びらみたいに、私の恋も終わってくれればいいのにと、いつも思う。

 いつまでも、先輩のことばかり考えていてはダメだとわかっている。でも、先輩の影が亡霊のようにつきまとう。

 校庭では、三年生の男子が体育の授業をしていた。先輩の姿はもうそこにはないのを知りながら、無意識のうちに、先輩を探している私がいた。

「今日は五月二十日だから、出席番号が、五たす二十で二十五番の……ハマモト、この問題の答えは?」

 ふと私の名前が呼ばれ、意識を教室に戻した。

 フケを肩に落とした数学教師が、私のことをじっと見ていた。クラスメートは、私が答えるのをじっと待っていた。黒板には訳のわからない数式が並んでいて、私はまっさらな数学のノートを絶望的に眺めた。

「わかりません……」

 私は、肝心なときに何も言えない。何もできない。先輩に声を掛けられないまま終わった三月から、私は何も変わっていない。

 先輩が年上の彼女とともに学校を去っていくとき、私はその安心しきった背中を追うべきだったのだろうか? 恋に破れることを知りながら、大きな壁にぶつかるべきだったのだろうか?

 出口のない疑問に思いをめぐらせているうちに、数学教師は教室から去り、周りは昼休みに入っていた。私の前の席のアキちゃんが、ピンク色の小さなお弁当箱を持ちながら振り向いて、「ヤスコちゃん、さっきボオッとしてたでしょ?」と言った。

 アキちゃんが振り向いたときに、校則に反して染めている茶色い髪の毛から、甘いシャンプーの香りがした。私はその香りにつられて、うん、と頷いた。

「やっぱり」とアキちゃんが言った。「もしかして、またヤスダ先輩のこと考えてた?」

 私は、アキちゃんの勘の鋭さにうろたえつつも、「もう先輩のことは諦めたからいいの」となんとか取りつくろった。

「そうなんだ」とアキちゃんは言った。「じゃあもう、こんなこと言っても仕方ないか」

「え、何?」と私は思わず訊ねた。

ツイッターで見たんだけど」と前置きして、アキちゃんは言った。「ヤスダ先輩、彼女と別れたみたいだよ」

「ほんとに⁉」

 私は、突然現れた驚きと喜びを、表情の裏に隠しきることはできなかった。

 

 放課後、昇降口掃除の担当の私とアキちゃんは、形式的に箒で地面を撫でながら、無為な時間を過ごしていた。

 アキちゃんは、部室へ向かうサッカー部の先輩を目で追うのに必死だった。短いスカートを揺らしながら、熱い緑茶を飲んだときのようにしみじみと、「イケメン、ああイケメン……」と呟いていた。

 そんなアキちゃんに、私は疑問を呈した。

「サッカー部の先輩だからイケメンなんじゃなくて、イケメンな人がたまたまサッカー部の先輩なだけだよね?」

「うーん、でもサッカー部って時点でポイント高いし。それに、先輩補正の威力は相当だよ」とアキちゃんは言った。「ヤスコちゃんも、ヤスダ先輩が先輩じゃなかったら、そんなに思い続けていられないと思うよ。近寄りたくても、声を掛けたくても、簡単にはできない。遠い存在だから、その人の匂いも、声も、何も知らない。だからこそ、行き場のない好きって気持ちが、いつまでも心に残るんじゃない?」

「そっか……」と言いながら私は、花壇のマリーゴールドをぼんやりと見ていた。

「ねえ!」とアキちゃんは、突然大きな声を出した。

 私が花壇からアキちゃんに視線を移すと、アキちゃんは昇降口の奥を指差していた。

「あれ、ヤスダ先輩じゃない?」

 そんな訳ないと、アキちゃんの指の先を見ると、見慣れた先輩の姿が目に飛び込んできた。

「え、ほんとだ。どうしよう、どうしよう……」と慌てふためく私を尻目にアキちゃんは、

「私、サッカー部の練習見に行くね!」と私の背中を押すようにして行ってしまった。

 一人残された私は、私のことなんて目にも留めない先輩の背中を、じれったく眺めていた。どんどん小さくなっていく先輩の背中を見ながら、私は思った。このままでいいのだろうか? また私は何もできないまま、先輩を喪うのだろうか? そして空虚な妄想と共に、先輩のことをいつまでも思い続けるのだろうか?

 三月のあの日に踏み出せなかった一歩を今、踏み出すのだ。私は、心を決めた。

「ヤスダ先輩! 待ってください!」

 先輩はびっくりしたように振り返った。

 その瞬間、どれだけ先輩を見つめていても合わなかった視線が、ぴったりと重なった。

 私は、息を吸えるだけ吸い込んで、そして吐けるだけ吐き出した。

「私、二年四組のハマモトヤスコと言います。いきなりすみません」と私は言った。そして思い切って先輩に訊ねた。「この後、少しだけ時間、ありますか?」

 

 新緑の木々の隙間から、強い太陽の光が漏れる。私は眩しい光に、目を細めた。そして私の心臓の鼓動に、耳を澄ませる。先輩と並んで歩く自分が、自分ではないみたいだった。心はフワフワと浮いて、どこか遠くへ飛んでいきそうだった。私は、舞い上がっていた。

「お忙しいところ時間をとってくれて、本当にありがとうございます」と私は言った。

「どうせ暇だったし、大丈夫だよ」と先輩はにこやかに笑った。

「でも、どうして学校に来ていたんですか?」私は緊張で震える声で訊ねた。

 しかし先輩は、私の質問には答えず「これから、喫茶店に行くんだっけ?」と言ったので、私は即座に頷いた。

 マンガやドラマの主人公が、トントン拍子に好きな人と結ばれるストーリーを、私はずっと陳腐だとバカにしてきた。しかし実際にそういう場面に身を置くと、嬉しくて、幸せで、満ち足りた気分になった。結局、不幸な私が僻んでいただけなのかもしれない。

 この道の先には、オシャレな喫茶店がある。

 私と先輩はそこでコーヒーを飲み、互いの失敗談などで腹の底から笑い合い、ラインを交換するぐらい仲良くなるんだ。家に帰ってラインでやりとりをして、次に会う日を決める。先輩は大学生で私は高校生だから、なかなか時間が合わないかもしれないけど、気長に待つつもりだ。そして三回目のデートで、私は先輩に告白される。私は頬を赤らめながら、こくんと小さく頷くんだ。少女マンガのヒロインが、そうするように。

 私がそこまで妄想していると、先輩がふと、立ち止まった。

 どこからか、セミの声が聞こえた。

 目的のオシャレな喫茶店までは、まだ距離がある。

 先輩は、喫茶店に向かうことを拒むかのように、そしてそこから始まる恋の物語を避けるかのように、小さく言った。

「ねえ、アキちゃんって知ってる? 二年四組だから、きっと君と同じクラスだと思うんだけど。俺、すげえタイプでさ。今日も先生に借りてた参考書返しに来るついでに、アキちゃんと仲良くなるきっかけを探してたんだよね。だから今、こうして君と歩いてるわけ。アキちゃんのライン、教えて欲しいんだけど、いいかな?」

 セミの声が、一段と大きく聞こえた。

 私の頬を、一筋の汗が伝った。

 アスファルトの地面に転がったセミの抜け殻が、一瞬だけ自分の姿に重なり、私はそれを思いっきり踏みつぶした。粉々になったそれは、ぬるい風に吹かれ、散り散りになって消えていった。

 私は、少女マンガのヒロインのようにはなれなかった。

 先輩は、本当にアキちゃんのことが気に入っているのだろうか? それともただ、私とこれ以上、関係を進めていくつもりはないというだけだろうか?

 まあ、もう、そんなのどっちでもいいや。

 もうすぐ夏が来る。つらくて、長い夏が。