『夏の音』
今回は、アルバム『SHISHAMO2』に収録されている『君と夏フェス』の登場人物の、次の世代のお話になっています。
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夏には二種類あると、わたしは思う。一つは汗を流して駆け出したくなる夏、もう一つはクーラーのきいた部屋で昼寝をしたい夏。今日はわたしが好きな夏だ。
空は青く透き通っていて、ずっと眺めていると、自分が空と一体になったかのような錯覚におそわれる。わたしは空の青色にとけ込み、この上ない自由を感じる。その瞬間、汗の鬱陶しさも、セミの声の煩わしさも、すべてがわたしの背景になる。わたしの自由を後押ししてくれる。わたしはそんな夏が好きだ。
今日は、あいつに誘われフェスに行く。
わたしの両親は、夏フェスをきっかけに付き合ったらしい。「新しい君が見れたから、今日は本当に来て良かった」なんて言って、パパはママのことを口説いたらしい。普段はちょっと頼りないパパだけど、なかなかやるよね。
でもわたしは、ロック好きの両親の反動か、ロックのみならず音楽そのものが好きではない。そもそも、曲の良し悪しがわからない。別に聞けと言われたら聞くし、片思いの切ない歌詞に共感することはあるけど、それだけ。そのうち飽きて、やめてしまう。今や、どこにあるかすらわからない、アイポッド・タッチ、充電切れ。
だから、あいつからフェスに行こうと誘われたとき、あまり乗り気ではなかった。
「ねえユリカ、来月の十日なんだけど、暇?」
しかも、わたしが一番嫌いな誘い方。誘うときは、要件を先に言ってほしい。
「暇だけど、また映画か何か? いい加減、わたしじゃない人と行きなよ。そんなんだから、いつまでも彼女ができないんだよ?」幼馴染のよしみで、わたしはそう忠告した。
「いや、フェスに行こうかなと思って、夏フェス。高校生のうちに、一回は行っておきたくて。ユリカは音楽好きじゃないから、最初、高野を誘ったんだよ。でも二人きりってものあれだし、ついでにユリカも誘ったらって高野が言うからさ。まあ別に、無理して来ることはないけど」とあいつは言った。
「ふーん、サラちゃんも一緒なんだ」
「うん。あれ、ユリカって高野と仲良くなかったっけ?」
そんなことないと、わたしは首を振った。
「でもなんかユリカ、ちょっと怒ってるみたいだから」
「怒ってないよ。行くかどうか考えてるだけ」
あいつは、私より先にサラちゃんを誘っている。もしわたしが行かなければ、あいつはサラちゃんと二人きりでフェスに行く。
「いいよ、行くよ」とわたしは言った。
「まじで」とあいつは少しほっとした表情を浮かべた。
「どうせあんたとサラちゃんじゃ、十分も会話がもたないだろうから」
こうしてわたしは、人生初の夏フェスに行くことになった。
あいつは昔から、はりきりすぎるところが玉に瑕だ。会場が開く前に着かなければと必死。わたしは、別に会場が開いてからでいいじゃん、少しでも長く寝ていたいよ、とは言わない。サラちゃんが、ニコニコした顔であいつを見ているから。
何故だろう。これまであいつのことなんて、ただの幼馴染としか思っていなかった。でもサラちゃんがいると、あいつを少しだけ、ほんの少しだけ、意識してしまう。サラちゃんはどんな服装で来るのだろう? わたしよりオシャレだと思われたら厭だなあ。お化粧はしてくるだろうか? わたしより上手だったらどうしよう。どうせ見せるのはあいつなのに、いつもはスッピンジャージで会うような相手なのに、どうでもいいやとは思えないわたしがいた。
服装も化粧もバッチリ、さあ出発だと玄関に向かったとき、キッチンからママの声。
「ユリカー、フェスに行くんでしょ? 暑いんだから、帽子かぶって、首にタオル巻いていきなさい!」
こうしてわたしのフェスコーデは、ゲートボールに勤しむ六十代女性の格好に決まった。
「おまえ、年寄りみたいな恰好だな」とあいつは笑った。
「でも、ユリカちゃん、結構似合ってるよ」という、サラちゃんのフォローになっていないフォロー。わたしのメンタルは、早くもブレイク。
サラちゃんは、やっぱりオシャレだ。薄いブルーのシンプルなワンピース。胸元のシルバーのネックレスが、アクセントになっている。髪の毛は綺麗に巻かれていて、前髪は小さなヒマワリの花がついたピンで止められている。ガラスに映るわたしの服装を見るたびに、溜息がこぼれる。
フェスの会場には、すでに大勢の人が集まっていた。もっと、俗に言うパーリーピーポーばかりかと思っていたのだが、淡々と目的の場所まで歩いているか、日陰で駄弁っている人が多くてびっくりした。
そんな中を、あいつとサラちゃんは二人でずんずん進んでいく。わたしはその後を、ただひたすらついていくだけだった。なんだ、あいつ、サラちゃんとこんなに仲良かったんだ。わたしは今更、来たことを後悔した。
でも、ライブが始まると、そんなことはどうでもよくなった。CDで聞くのとは全然違った。音が、心臓に直接ぶつかってくるのだ。わたしは無意識のうちに右手を高く上げ、曲に合わせて振りまくっていた。演奏が終わると歓喜の声を上げ、大きな拍手を送った。なんだ、音楽、ロック、めちゃくちゃいいじゃん。
音楽の感動に包まれていると、時間が止まっているかのように感じた。すべてがスローモーションになる。肌を焦がす日差しも、絶えず流れてくる汗も、わたしの感動と興奮をかきたてた。
ふと気がつくと、隣にいたはずのあいつとサラちゃんの姿が見えない。二人で、いつの間に。そう思ったが、すぐにわたしの周りの景色が、すっかり変わっていることに気づいた。興奮のあまり、かなり前のほうまで出てきてしまったらしい。やってしまった。あいつとサラちゃんを、二人きりにさせないように、わざわざここまで来たのに。今ごろ二人は、この熱気と感動を、恋心に発展させているかもしれない。
トボトボと二人を探し回り、やっとのことで合流することができた。
「ユリカ、どんどん前に行っちゃうから、二人でビックリしてたんだよ。でも、楽しんでくれたみたいで、よかった」とあいつはニッと笑った。
あいつの唇の間からこぼれる白い歯に、わたしは胸の奥が熱くなった。これはフェスの興奮のせいなのだろうか。それとも。
あいつが、ちょっと俺トイレ、と走っていったとき、サラちゃんが言った。
「武藤君、すっごい嬉しそうだったね」
「だねー。これからもあいつのことよろしくね」とわたしは言った、あいつの幼馴染として。
「ううん、違うの」と、しかしサラちゃんは言った。「武藤君、ユリカちゃんとフェスに来れたのが、嬉しかったんだよ」
「え、そんな訳ないよ。わたし、ついでで誘われたんだから」とわたしが自嘲ぎみに言うと、サラちゃんはクスッと笑った。
「武藤君らしいなあ。武藤君、わたしに相談してくれたんだよ、ユリカちゃんとフェスに行きたいんだけど、音楽あんまり好きじゃないからどうしたらいいかな、って。どうしてもフェスじゃないとダメなのってわたしが訊いたら、ユリカちゃんの両親が、そうやって付き合ったから、一緒にフェスに行きたいんだ、って」
「え……?」とわたしが言葉を失っていると、あいつがトイレから帰ってきた。するとサラちゃんが、じゃあわたしもトイレ、と言った。
フェスの熱気のせいか、日が暮れても重たい熱風が吹いている。わたしの汗は止まらない。
あいつは、わたしの目を見つめていた。時が進むのが遅く感じる。汗は何度もわたしの頬を流れていく。
「あのさ、ユリカ……」とあいつは言った。「その……、す、……」
わたしは、ぐっと息を飲んだ。心臓の鼓動が、ドラムのように大きく響く。
「す……、すげえ楽しかったな、今日。ユリカのこと、誘ってよかったよ」
止まらないのは、二人の恋だ。
「なに、いきなり。らしくないこと言わないでよ」わたしは焦って目をそらし、こぶしであいつの肩を軽くぶった。
「痛ぇ、なにすんだよ」とあいつは笑った。
この時間が、いつまでも続けばいいのに。あいつとわたしの夏を、どこまでも駆けていきたい。今年の夏は、まだ始まったばかりだ。